Kittyは映画が大キライ

私の私による私のための映画レビュー

4月の覚書

お勉強にバイトにお引っ越しでもう目の回るような忙しさだったここ3ヶ月。落ち着いたからこれからのことをほんのちょっとだけ書いておきます。

 

①映画と心理学のお話

 

やっぱりベースとなるのはこの話題です。進学及びその後の研究計画を踏まえて、今年度はさらに詳細かつ厳密な心理学的アプローチを推し進めて行きたいと思います。

特に今後は映画というメディアを視覚、聴覚という2つのモダリティの感覚情報と、それらがともに持つより高次の意味情報の3側面から認知心理学・生態心理学的に検討して行く予定です。いかにして映画という刺激を解くのか、その計算理論とアルゴリズム、そして最終的には実現のための神経基盤を明らかにすことこそ映画心理学の使命でしょう。

映画も人の心が生んだ活動である以上、心理学者は自然科学の方放浪んでこれに挑まなければなりません。しかし、複数の高次段階処理によって解かれるべき課題です。単純な自然死とは決定的に異なる数学的特徴を持ちながらも、極めてリアルな外界の認知をアフォードする。これほど複雑な錯覚を実験心理学の手法に落とし込みのはかなり挑戦的な課題ですが、研究人生を賭けたっていいくらいのテーマでしょう。

 

②映画とジェンダーのお話

 

これも一方で常行きにかけているテーマです。自身のセクシュアリティを映画を通して見つめ直すこと、それ以上にジェンダーの問題が今日の映画にどのような表象を結んでいるのかを検討することを目指します。

特に今年はアメリカ映画界がほとんどわざとらしく多様性をアピールし始めました。それが妥当な理解を前提としたものかも考え直さなくてはなりません。千人いれば千通りの性がある、と言って仕舞えば月並みですが、映画というメディアには確実にジェンダーの表象が浮かんでいます。その変遷と現在とを忠実に理解していくのも映画研究の重大なアプローチではあるでしょう。

 

 

③映画と科学のお話

 

映画は芸術か否か。芸術だとすれば、芸術は科学の対象になるか。人文科学としてアプローチすれば、映画は社会の写し鏡でありえるかの議論を生じ、自然科学としてアプローチすればヒトはいかに映画を理解するかの問いに至ります。先の二つの論点は実はこの第3点目から派生したものだと言えるでしょう。

最近では学術サイドから基礎研究の大切さを叫ぶ声が上がり始めていますが、声を大にして叫ばなくてはならないほど日本の学問は切迫した状況にあります。役に立つ、立たないの不毛な議論を超えて、いま、ここにいる私を知ることが学問であり、人間の本質です。そのために我々は芸術を人文社会学と自然科学で考えるのです。

 

 

とまあ、このくらいの話を下に敷きながら、これからもしっかり絵映画のお勉強をしてまいりますので、皆様どうぞよろしくご指導願います。