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Kittyは映画が大キライ

私の私による私のための映画レビュー

【試写会】『ハドソン川の奇跡』 毛色の違う傑作

ハドソン川の奇跡』(原題 : Sully)

クリント・イーストウッド監督

2016年

 

クリント・イーストウッドは私が最も敬愛するところの映画作家であり、私が映画というメディアを真剣に捉えるきっかけになった存在です。不勉強ながらすべての作品を観てきたわけではないのですが、少なくともこれまでに観た作品はどれも素晴らしいものでした。

今作も確かに素晴らしい傑作出会ったのですが、同時に些細な違和感を覚えたのも事実です。それではあらすじに続いてレポートしていきます。若干のネタバレがありますが、そもそも誰もが結末を知っている実話ですから、断る必要もないでしょう。

 

あらすじ

 

バードストライクによって飛行不能になった USエアウェイズ1549便。機長を務めるサリー(トム・ハンクス)の冷静な判断により飛行機はハドソン川に着水。奇跡的に乗客乗員155名すべてが生還する。

 

NYと飛行機

 

事件が起きたのはつい数年前のことで、我々の記憶にも新しいので詳細なあらすじは省きます。事件全体の概要については以下の記事によくまとまっていますので、映画を観る前に一度目を通しておいてもいいかもしれません。

USエアウェイズ1549便不時着水事故 - Wikipedia

 

似たような映画にロバート・ゼメキス監督の『フライト』(2012年、"FLIGHT")がありますね。あちらの機長(デンゼル・ワシントン)はサリーとは違ってクズの極みでした。クズと英雄の二面性、そしてニコール(ケリー・ライリー)との出会いを通じて変化していく内面に焦点を当てたのが『フライト』でした。これもまたいい映画でした。

それでは『ハドソン川の奇跡』はどんな映画だったのでしょうか。

原題は"Sully"ということですがまるきりその通りの内容で、主人公サリーの繊細な心に動きを一貫して追い続けています。キャメラは顔のアップを多用して、憔悴していくサリーの表情が切実に迫ってきます。かなりの緊迫感でした。彼を信じる副操縦士に、彼のことを心配し続ける妻()。無邪気に"奇跡"を喜ぶアメリカとNYの人たち。この映画はやはり"サリー"という"変数"の映画なのです。さすがイーストウッド、さすがトム・ハンクスというところで、その辺りは徹底して作り込まれていました。

 

"Encouraging"な映画

 

さて、先述した違和感について検討してみましょう。私が抱いた違和感とは、「あまりに素直すぎる」ことです。

この映画は底抜けに明るく、楽しく、感動的でした。極寒のハドソン川で凍える乗客を、民間船のクルーたちが必死に救出するシーン。あるいはサリーの判断が適切だったと、国家運輸安全委員会が認めるシーン。どのシーンも実際にあった出来事を描いているわけですが、あらゆる演出、演技が素晴らしく、感動的でした。映画作家としてのイーストウッドの力量はやはり圧倒的です。この映画を観れば、誰だって元気をもらえることでしょう。私は観ていておもわず目が潤みました。

「NYには最近いいニュースがなかった。特に飛行機絡みではな。」

ここが特に凄まじかった。"ハドソン川の奇跡"が当時のNYにとってどれほどの意味を持ったのか、その重さがこの数秒のシークエンスで日本人の私にものしかかってきたのです。屈指の名シーンでしょう。本当に"encouraging"な傑作でした。

 

しかし、イーストウッドの映画とはこうだったでしょうか。

確かに、イーストウッドの目には常に「アメリカ」が映っていました。それは、イーストウッドが映画を通じてアメリカ社会を論じているとかそういうことではなくて、彼の映画は常にアメリカ人の心に訴えかける、アメリカ的なモチーフで満ちていたということです。『シン・ゴジラ』が日本人に"効いた"ように、イーストウッド映画もアメリカ人に効きます。それも"耳が痛い"方に効くのです。

ミリオンダラー・ベイビー』(2004年、"Million Dollar Baby")も『グラン・トリノ』(2008年、"Gran Torino")も、ともすれば『ダーティハリー』(1971年、"Dirty Harry)の頃から、イーストウッドの目は皮肉っぽくアメリカを見つめてきました。それはおかしいだろう、とでもいうかのように、主流派の鼻を明かすかのように、"アメリカ"が抱える歪みを写してきました。いつだって根っこから善良な人物ばかりではなかったし、手放しのハッピーエンドではなかった。安い批評家が食いつきそうな"社会派"の映画が多かったと思います。町山智浩の言を借りれば、「保守でもリベラルでもな」い、独特の視点で切り取ったアメリカ像を示し続けてきたと言えるかもしれません。映画に社会的な意味を読み取るのは極めて愚かしい態度ではあります。ただ、イーストウッド作品にどうしても"アメリカ"というイデアに対するシニカルな態度が見えるのも事実なのです。『シン・ゴジラ』のときにも述べていますが、恐らくはそれはアメリカの歪みをテーマとしているのではなくて、面白いものを作るためにはアメリカのゆがみが最適な材料なのでしょう。事実、"Actor's Studio"でのインタビューで、『ダーティハリー』について「俺とドン(・シーゲル)はただ面白いものを撮りたかった」と述べています。

ところが今回は、そのシニカルさがなかった。サリーも副操縦士も妻も、みんなが善良でした。NYの市民は一致団結して正義をなし、達成を喜びます。一応の悪役に当たる国家運輸安全委員会も、結局はサリーを認めました。観終わった後にしこりが残らない、素直なハッピーエンドなのです。

別にそれがおかしいとか、まずいとか言ってるわけではありません。そんな議論には意味がない。むしろなすべきは、いかにその"encouragement"を引き出しているかという、方法の素晴らしさでしょう。巧みな演出でした。しかしながら、今までの作品とは若干毛色が違ったように感じたという話です。

 

とにかく面白い

 

これまでの映画とは毛色が違いましたが、『ハドソン川の奇跡』がとても面白いのは事実です。むしろ今までの作品よりもわかりやすく、楽しみやすいという点で優れているかもしれません。私にとっては、イーストウッド作品の中では間違いなくお気に入りの一本です。

 

参考文献

 町山智浩、「彼はどこにも属さない イーストウッドの思想と政治」(佐野亨・ 編、「KWADE 夢ムック 文芸別冊 総特集 クリント・イーストウッド」、2014年、株式会社河出書房新社)