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Kittyは映画が大キライ

私の私による私のための映画レビュー

『シン・ゴジラ』 ゴジラと庵野のキャスティング

好きな映画 映画館で観た映画

シン・ゴジラ

庵野秀明総監督 樋口真嗣監督・特技監督

2016年、日本

 

金曜日にようやく鑑賞できました。というわけで、おそらく今年最大のダークホースであろ『シン・ゴジラ』の感想です。邦画に関してはほとんど勉強していないので拙い論ではありますがご容赦を。

 

映画館で予告を観たときには間違いなく駄作だろうと思っていました。理由は、

 ・いまになってゴジラを引っ張り出す必然性がない。過去の名作に乗っかっただけでは?

 ・庵野秀明総監督が不安。なぜアニメ屋を連れてきた?

 ・石原さとみの英語が酷すぎる。

の3点です。ところが公開するや否や絶賛の嵐。これはどうやら思い違いをしていたらしいと気づき、これは是非とも観なければと。そして実際に自分の目で確かめた結果、上記3点のうち最初の2つは完全に私の浅学による間違いであることがわかりました。

 

まずは、21世紀にゴジラをやるということ。これはむしろ必然でした。

2016年の東京をゴジラという完全無欠の"怪獣"がひたすらに蹂躙する。ゴジラはひたすら理不尽に破壊を繰り広げ、人間はゴジラが何を目的とするのかもわからない。とても怖い。これは怪獣映画、ひいてはホラー映画の本質でしょう。ホラーとは、理解を拒絶する何者かが理不尽な暴力をもって迫ってくる恐怖を描く映画である。たしかヒッチコックだったと思います。日本で花開いた怪獣映画はそこからさらに一歩、踏み込みました。"破壊の歓び"にフォーカスしたのです。狭苦しい東京の街並み、変わり映えしない毎日。そういった"行き詰まった日常"を圧倒的な力を持つ"怪獣"という"非日常"が破壊してくれる。そこには恐怖と同時に爽快感と神々しさが見出されます。怪獣映画が与える"映画の歓び"とは、"理解不能の恐怖"と"破壊の快哉"なのです。『シン・ゴジラ』でも、竹野内豊演じる赤坂の「せっかく」が印象的でした。

しかし、"理解不能の恐怖"と"日常の破壊の快哉"を演出するだけならゴジラでなくてもよかったのです。モスラでもバルタン星人でも、キラートマトでさえ事足りた。それでもゴジラだったのはひとえに、それが一番効果的だったからでしょう。

 2011年以降、日本人はいつも放射線に怯え、役に立たない行政に苛立っていました。時代が閉塞していたわけです。そんな時代と社会に生きる観客を最も恐怖させ、最も喜ばせる怪獣は誰か。誰を出せば"映画の歓び"は最大になるか。そこでゴジラに白羽の矢が立ちました。(実際はゴジラありき、ゴジラを最大に活かす方向で作られたのかもしれませんが。)核の炎を吐く原子力の申し子、日本最強の怪獣ゴジラこそ、いまの日本人を最大限に楽しませる"キャスティング"だったと言えるでしょう。ゴジラでなければつまらなかった。ゴジラだったから面白かったのです。

 

第2点目、庵野秀明の手腕について。極めて見事でしたが、私がそれに気づいたのは『シン・ゴジラ』ではありませんでした。 

2012年、 東京都現代美術館で開催された展覧会「館長 庵野秀明特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」において、『巨神兵東京に現わる』が公開されました。私がこれを見たのは近代文学者の千田洋幸先生の講義で、『シン・ゴジラ』公開直前の7月でした。(千田洋幸は庵野秀明のメタ性を指摘し続ける研究者で、たまたまうちの大学で講義を受けることができました。)非常に興味深い作品で、私はこれで庵野秀明樋口真嗣コンビの実力を痛感したわけです。短いながらよくできた怪獣映画で、その精神は『シン・ゴジラ』に受け継がれています。

 閑話休題

シン・ゴジラ』が決定的に優れていたのは過去の映画資源の利用とドラマツルギーの制御です。兵器や風景、人物を映しながら表示されるテロップは特撮らしさを演出し、冒頭のシーンはモキュメンタリー的なサスペンスを導きます。古今東西の視覚芸術を理解した上で適切に利用している類まれな手腕と言えるでしょう。そして何よりドラマツルギーの緩急が巧みです。緊張感の頂点には暴れまわるゴジラを置き、その後、絶望に打ちひしがれる人類の描写は極めて静かでした。特に印象的なのは、泉(松尾諭)が矢口(長谷川博己)にペットボトルの水を叩きつけるシーン。トンッとい静かな音によって物語に流れが生まれ、次の展開が動き出します。素晴らしいというほかないシーンです。

もちろんここで述べているようなことは庵野秀明のみによる業績ではなく、役者やスタッフの技術と熱意の結晶であるわけですが、それぞれの良さを一つの全体にまとめあげ、ダラけさせないその手腕は疑いようがありません。総監督に庵野秀明というのはこれまた絶妙な"キャスティング"でした。

 

最後に演技について。

棒読みのような演技に違和感を覚える人もいるようですが、むしろこれは優れた点です。ミニマムなセリフの積み重ねによって"表現"ではなく"印象"を与えるという映画の基本に忠実であり、各登場人物の葛藤やモブのパニックをしっかりと引き出しています。竹内敏晴も"感情"を表現する危険について、『思想する「からだ」』(2001年)で述べていますしね。日本の大作でこういうことができるのは嬉しい驚きです。端役に至るまで優秀な俳優を贅沢に使っただけのことはあります。

ただ一つ残念だったのが石原さとみの演技です。酷すぎます。大げさで芝居がかった表現がほかの俳優の演技の中で浮き上がってしまっています。それこそ『思想する「からだ」』に出てくる泣く女優のような。すべてがぶち壊しになる独りよがりです。英語もひどい。とても日系アメリカ人には聞こえません。ほかの俳優がどの人も自分の役割をしっかりこなしていただけにとても惜しまれます。

 

 

 

とまあ、ここまでだらだら書いてしまいましたが、言いたいことはただ一つ。『シン・ゴジラ』 めちゃくちゃ面白かったです。