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Kittyは映画が大キライ

私の私による私のための映画レビュー

『ボーダーライン』 キャメラが導く驚きとサスペンス

『ボーダーライン』(原題 : Sicario)

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督

 2015年

 

開幕。

重装備の特殊部隊が展開。移動する車の中で緊張した女性隊員の顔のアップ。突撃。車で壁を突き破る。

冒頭の短いシークエンスにこの映画の魅力の魅力、驚きとサスペンスが凝縮されています。何かが起こりそうな不気味な静けさ、そしてやはり起きてしまった出来事の衝撃。よくある陳腐ななキャッチコピーではなくて、適切に構成された映像によって驚きとサスペンスが引き出されているのです。キャメラによって視覚世界をショットに分解し、新しい価値を与えて再構成するという、映画の歓びを最高度に達成した作品の一つでしょう。

 

この映画は特徴的なショットで構成されています。まず目を引くのが顔のアップ。主人公ケイトの顔が繰り返し大きく映ります。そこにケイトやアレハンドロの主観的な視点からのショットが織り込まれ、登場人物の内面を繊細に描く。そしてそれ以上に、"何が起こるか"、あるいは"何をしでかすか"わからないという緊張感が生まれます。これがサスペンスを引き出す仕組みです。他にも空撮や遠距離からの引きの画、暗視カメラや衛星の画像が挟まれ、どれも印象的でした。特に1匹の蛇のように連なって動く、黒い4台の車の描写は不気味です。このシークエンスだけでケイトが踏み込んだ世界の狂気をよかんさせます。

過程から目を背ける映像も重要な点でしょう。拷問、射殺の場面を直接移さず、少しずれた位置にキャメラが向く。これも以上に効果的な手法です。

また、唐突に挿入される"意味不明な"ショットが驚きと不気味な予感を演出します。ショットガンの弾痕、ゴムバンド、家族の風景。そうしたショットはその場においては文脈にそぐわない異物です。観客は異物に引っかかる。嫌な予感がする。そしてそに予感は見事に的中し、予想に斜め上をいく"何か"が起こってしまう。思わずのけぞるほどの衝撃をいけるという仕組み。きっとこれを超えるのはコーエン兄弟の『ノーカントリー』くらいでしょう。

 

邦題についても、私は素晴らしいと思います。たしかにこの映画はトレーラーで言っていた善と悪の境界だなんていう安っぽいものを描いた作品ではありませんが、「境界線」が一つの重要なモチーフであることには変わりないからです。アレハンドロとケイトの間にあった、ケイトが決して超えられなかったボーダーライン。そしてアメリカとメキシコの"国境"。原題の「殺し屋」はアレハンドロという一人の人物のあり方、それに出会ってしまったケイトという人物のあり方に着目しています。邦題は2人の間にフォーカスして駄洒落も効いたなかなか秀逸な訳ではないでしょうか。